ACCOUNTING SOLUTIONS JAPAN
山本公認会計士事務所
ドイツの会社の、日本にある現地法人の社長は、何故、日本人でいいのか?
私たちの事務所は、この疑問からスタートしています。
2009年、ドイツ系の事務所(1910年にドイツ人が日本で創業した、Sonderhoff & Einsel(ゾンデルホフ&アインゼル)という事務所です)に入り、日本にある、ドイツの会社の子会社の会計監査をするようになった時、私は、監査先の会社には当然、ドイツ本社から派遣されたドイツ人の社長がいるものと思っていました。
と言うのは、以前、東京銀行(途中から東京三菱銀行に変りましたが)の駐在員として上海、香港で仕事をしていた時、お客さんの日系企業の社長さんは、ほぼ全員、日本本社から派遣されてきた日本人だったからです。
なので、ドイツの会社の日本法人の社長も、当然、ドイツ本社から派遣されてきたドイツ人だと思っていました。
ところが、私が前の事務所で過ごした8年間、公認会計士として、約70社のドイツやその他の欧州企業の子会社の監査をしましたが、一社として本社から派遣されてきたドイツ人の社長はいませんでした。
私は「ドイツ人という人たちは、よくもまあ、見ず知らずの国の、見ず知らずの人に、自分のお金を預け、事業を任せられるものだ」と思っていたのですが、
そのうち「あっ、これは 信用の創り方の違い なんだ」ということを実感するようになりました。
日本人は、どちらかと言うと、逃げない個人に任せることにより、自分のお金や事業を守るのに対し、ドイツ人は、ルールと手続に依拠することで、自分のお金や事業をしっかり守る、ということを。
即ち、
日本人は
逃げない、逃げられない状況にある、最後まで個人として責任を取ってくれる、個人の誠意に依拠する。
「身内」、「うち」、「余所(よそ)」、「連帯保証」などの概念が重要になる。
→ 「余所の人間」は使わない。
→ 「会社が借りるのだから、私は連帯保証人になりません」という人が
社長の会社には、お金も、オフィスも貸さない。
→ いついなくなるか分からないような外人(がいじん)は連帯保証人に
なれない。「信用の輪」の外の人。
任せる時、預ける時、委託内容は明確にしない。「言葉に出さなくても分かっている」の感覚が重要。
委託内容を一つ一つ明確にしようとするのは、「俺のことを信用していないのか」ということになる。
委託内容が明確になっていないため、結果の評価は、感覚的なところに終始。
委託中、委託終了後の確認は行わない。
何故なら、相手は逃げられない状況の下、こちらのために一生懸命やってくれているので、相手の誠意を疑うような行為は慎むべき。
→ 「あんなことをする人間とは思わなかった。裏切られた気持ちです」と
いう、頻繁に聞かれる、不正をした人間を部下に持った上司の言葉。
→ 会計は重視されない。
預ける側が確認しないので、預かる側も報告しない。
従って accounting(説明すること)が必要ない。
→ 委託者が受託者の行為を確認しないので、法律で定められたものを
除くと、監査を必要とする状況は出現しない。
ドイツ人は
ルールと手続に依拠
最も重要と思われる点は、委託者(海外子会社の例で言えば”親会社”)が、日本とは比べものにならないくらい能動的であること。
彼らの行動原理は非常にシンプル。そこにあるのは自分のモノ(お金、事業、その他)、なので、自分が納得できるまで確認する。
預けっぱなしで何もせず、最後に「しょうがない」というパターンは聞かない。
事業を預けるにあたり
「コレコレをしてください。」
「あなたにやって欲しいことはコレコレです。」
「あなたがやっていいことはコレコレです。」
「あなたの負う責任はコレコレです。」
「こういう結果が出ればコレコレの報酬を提供します。」
「事業の状況について、このルールに従い、こういう様式・手順で
報告して下さい。」 小さな会社でもルール作り・手続作りに力を入れる。
子会社からの報告は隅から隅まで確認する。不明な点や疑問点があれば納得がいくまで質問する。
問題が発生した場合も、冷静に原因を調査し、それによる影響、今後の防止策等、淡々と処理していく。
因みに、私は会計士として、毎年、幾つもの監査先の会社のドイツ本社のCFOとのミーティングに呼ばれ、多くの質問を受けましたが、
日本の会社で、本社の管理部門の人間が現地に行き、現地の会計士と膝詰めで「ああだこうだ」と何時間もやり取りするようなところは、ほぼ無いのではないかと思います。
初めてそういうミーティングに呼ばれた時は表敬訪問くらいの軽い気持ちで行きましたが、結局、そのミーティングは半日掛かり、受ける質問の方も、こんなことなら監査調書を一式、持ってくるんだったと後悔した程でした。
そこまでするので、子会社の状況は正確に親会社に理解され、また、親会社の意図も子会社に正確に伝わります。
信用に対する考え方、創り方は、国により
違いがあるのは当然なのですが、
日本の方法の問題点は、
1. あなたのやりたいことが広がっていかない
畑を自分一人で耕していても、耕せる量には限界があります。余所の人間に預けられない、ということは、そういうことかと。他の人間に任せることが出来れば、10倍にも、100倍にもすることができる。しかも、自分よりも優秀な人間に任せられるのであれば、一人分どころか、百人分も、千人分もやってくれるかも知れない。
あなたにはあなたのやりたいことがある。若し、あなたがそれを広げていきたいのであれば、広げていきたいと考える程度に応じて、余所の人間に預けられるようになることが必要だと考えます。
海外子会社の例で言えば、
日本の会社の海外子会社の社長は、身内である、日本本社から派遣された日本人が殆どだ、と書きましたが、
仮に自分が日本にある外国の会社の子会社に勤めているとして、そこの社長が、日本の会社がやっているように、本国から派遣されてきた、現地の言葉、即ち、日本語も満足に話せないような外国人だったらどうか? 恐らく、多くのビジネスチャンスがその会社を通り過ぎて行ってしまうのではないかと思います。
他人に任せられない、ということは、結局、自分一人で、自分の畑だけを耕している状態と考えます。
2. 最後の最後になって、一体、何が起こっているんだ(よく分からない)、という
ことになるケースが多過ぎる
例えば、毎年、100万円の利益を上げていた会社が、10年目になって突然、1億円の損失があることが分かった、という事例があったとします。
似たような事例は、日本では、官民を問わず、また、組織の大小、金額の多少を問わず、頻繁に耳にします。
「『大丈夫です』『問題ありません』『儲かっています』と言っていたのは何だったんだ?」という類の話です。
上の会社の場合、10年という期間を通して見ると、
100万円 × 10年 = 1000万円 の 利益 をあげたのではなく、
1億円 - 1000万円 = 9000万円 の 損失 を発生させている。
しかも、9年目までは、儲かっているという情報しか存在しなかったため、儲かっているという情報に基づいて、経営判断、利益配分、設備投資、税金の支払等が行われる。
そして、儲かっているという情報に基づいて、この会社に入社し、この会社と取引を行い、この会社にお金・オフィス・倉庫を貸す人がいる。
しかし、10年目になると、本当はそうではなかった、ということになる。そして、10年目に関与していた人たちがババを引く。
非常によく目にする光景です。
勿論、10年目の1億円の損失が、本当に10年目に発生し、それ以前の段階では、徴候すら存在していなかったのであれば、
9年目までの経営判断も、利益配分も問題ない訳ですが、
殆どのケースは、
10年目に問題が発生したのではなく、顕在化したのが10年目であって、その前の時点から存在していた事例が殆どな訳です。
圧倒的に公平さに欠ける。しかも、最後の最後に顕在化する損失は、時に、悲しいほど巨大なものになる。
そして、多くの場合、それらは、事前に発見され、対応が取られたのであれば、そんなに巨大になることなく、未然に防げた可能性が高いものでもある。
つまり、我々の方法の問題点は何か、と言えば、そういった問題を、途中で、しかも、未だ小さなうちに把握しないことにある。
若しくは、途中で、それを把握しても、日常が回っている限りは、先送りする点にある。
では、何故、こういうことになるのか?
この手の話があると、一般に「問題を起こしてしまった受託者(任されている側)」が非難される。確かに、受託者は責められるべき行為をしているし、時には、その行為が犯罪に該当するケースもある。
しかし、実際にこういった問題に現場で接した経験からすると、多くの場合、問題の根源は受託者ではなく委託者にある。
委託者は、多くの場合、問題が起こっていることを聞きたがらないし、知りたがらない。そして、預かっている側に、何らかの個人的な原因を見つけようとする。(だらしない、能力がない、やる気がない、向いていない、ウソつき、等々)。
何故なら、我々の文化では、預ける、委ねる、任せる、委託する、といった行為は、委託者が何もしなくても、受託者が問題なく、完璧にやってくれることを当り前の前提としている。
なので、何が起こっても、受託者が責任を以って対処すべきであり、それによる影響が委託者に及ぶのは不当だ、という感覚がある。
でも、実際は、受託者がどんなに一生懸命、やっていても、問題は必ず発生する。
そして、委託者は、そういった事象が発生していることを聞かない。
そうして、問題は後ろへ後ろへと先送りされ、御しきれなくなったところで爆発する。
私たちの考え
結局、上の2つの問題の大本は同じです。我々のモノの預け方に由来します。
また、2の問題点を未然に防止する体制が構築できたなら、それは1の問題点の解消も意味します。
私たちは、1と2の双方の問題点の解消のために、ルールと手続による「信用」創出が有効と考えます。
ただ、ルールと手続による「信用」というのは、委託者側の積極的な行動が必要であり、また、受託者側との緊張関係も覚悟しないといけない。
また、問題がないと思われる状況では、単なるコストとしか思えないものでもある。
なので、その辺は、あなたの守りたいモノ、実現させたいコト、と、ルールと手続による「信用」創出のコストを比較し選択されればよいのではないかと考えます。
提供するサービス
こういった観点が私たちの提供するサービスの出発点です。
私たちの提供しているサービスは、こちらのページをご覧ください。
会計事務所がこういう主張をするのは何故か?
従来の日本式の世界で完結しているのであれば、預ける・預かるという関係は、「お前に任せた」、「誠心誠意、頑張ります」があり、「全力でやらせて頂きました」、「ありがとう」で完結するので、ACCOUNTING(説明)は要らない。
なので、会計などというものは、税務署から文句を言われない範囲で、また、自らが経営を遂行するのに必要な範囲で存在していれば良かった。
でも、ルールと手続に依拠して信用を創出する場合、預ける側から見ても、預かる側から見ても、議論の余地のない事実を双方がシェアすることが必要になる。
その上で、双方が主張し、評価し、交渉し、合意する。事実がまな板に乗っていない状況でのそれは全く意味をなさない。
9千万円の損失が事実である時に、それを把握せず、1千万円の利益の配分を議論していても意味がないのである。
なので、事実について、何をどのように把握し報告するのか、その報告が事実であることがどのように保証されているのか、予めルールとして合意され、それに基づいて事実がシェアされることが必要になる。
そして、その事実の大半は、会計により把握され、表明される。
私たちがこういう主張をするのは、我々がAccountingの専門家だからです。
放っておいても、自分のモノが保全され、預けた目的が達成され、預かる側が不満なく仕事ができているのであれば、Accounting(説明)は要らない。
でも、それが機能しない時は、Accountingを使い、取れるメリットを取っていって欲しいと思います。
預けられているモノ
・ お金 ・ 事業
・ 仕事 ・ 権限
・ 家族 ・ 将来
・ 生活 ・ 夢
・ 使命感 ・ 等々
結構、色々あるよね。
それは1倍
あれ~、
大丈夫だったんじゃなかったの?
会計は、英語だと Accounting だけど、
Accounting には、「説明」という意味も
あるんだよね。
(成立しない日本語)
私はこの件について「会計」します。
いえいえ、そういうことではないのですが・・・(汗)
今日も夜まで掛かっちゃうのかな~。
まあ、でも、ここまでやると、子会社の人も安心できますね。
このマニュアル、300ページもあるんですね。
まあ、しかし、ここにエネルギーを注ぐのは、
考え方の違いなんでしょうね。
言い訳するな~
男らしくないぞ~
何で俺がこんな目に遭わなければならないんだ!
どうしよう、これじゃ、いつまで
経っても、解放されない!
こちらの部署は儲かっていないので、ボーナスを出しません。
儲かっていないのは、
そっちの部署だろ~が(怒)